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明帝(めいてい)は、後漢の第2代皇帝。 == 生涯 == === 皇太子となる === 光武帝の第4子。28年(建武4年)、生母の陰貴人は元氏(現河北省石家荘市元氏県)にて劉陽(明帝)を産んだ。10歳にして『春秋』に通じ、父に才能を愛された。 39年(建武15年)、劉陽は東海公に封じられる。41年(建武17年)に、郭皇后がそのわがままな性格から光武帝に疎まれるようになり、皇后を廃されて中山太后とされ、陰貴人が皇后となる。この年、光武帝の子のうち、皇太子劉彊を除く九国公は爵を進めて王とされ、劉陽は東海王となる。 劉陽にとって異母長兄である劉彊は母郭皇后が廃されたため、常々皇太子を辞したいと願い出ていた。建武19年(43年)に光武帝は遂に許し、皇太子は東海王となり、代わって劉陽が皇太子に立てられることになり、同時に諱を陽から荘に改めるように命じられた。博士の桓榮に師事し、『尚書』を学習した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「明帝 (漢)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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